今回、国つ神計画研究所のメールマガジンを発行することになりました。

国つ神計画研究所は、『古代日本×ルーツ×祭祀の追体験』という3つの要素をミックスし、「歴史・遺伝子・霊性」を探究する他に類を見ない内容となります。特に、古代日本の縄文・弥生・古墳という3つの時代を主な軸に据え、そこから生まれる日本の心の起源を辿りながら、現在の私たちにどのように継承されているかを探究します。

初回は、私の原体験と国つ神計画研究所での発信が、どのように結びついているかについてです。

思えば、古代日本を探究し始めたのは、今から約7年前の2019年秋に遡ります。それまで日本の歴史に対する関心は、多くの人々同様に皆無だったのですが、ふと、神話の探究をしてみようと思い立った時、今日に繋がる物語が始まりました。

最初の舞台に選んだのは、日本神話の宝庫と呼ばれる九州です。日本神話の理解を深めるために片っ端から伝承地を巡り、やがて初代・神武天皇として即位したカムヤマトイワレヒコが、東の国へ向かって出立した伝承を持つ宮崎県日向市の美々津へ至りました。古代の物語が始まった海をぼんやり眺めていると、神武東征のルートを全て辿ってみようと思い立ち、そこから神武東征のルートを辿って関西へ入り、紀伊半島を迂回して大和に入る追体験をしました。

今になって思うと、こうした太古の追体験は単なる歴史への好奇心ではありません。私にとっては、「日本の心」がどのように生まれ、どのように変容し、そして今の私たちにどう引き継がれているかという重要なテーマとなっています。そしてここまで私を導いてきたものは、私自身の意志というよりも、先人の意志であり、もっと言えば、「日本の意志」とも呼び得るものです。

ここから始まった私の旅は、やがて日本全国に拡大していきます。ただ北海道、沖縄、離島は後回しにしており、これまでの7年だけを見ると、四国・九州を含む本州の北から南を幾度も巡ってきました。この経験で一番貴重だったことは、知識が増えたことではなく、全国各地の「場所の風土」が体感に入ったことです。それは異なる場所に居ながら、白神山地沿いの岬から吹き寄せる風や、薄暮の鳥取砂丘の波の音として、私の中にアーカイブとなって保存されています。

この風土を私は「場所の記憶」と解釈しています。そしてこの経験を経て、日本人の心の奥底には、誰もがこの記憶を持っていることを強く感じています。いや、今も深いところで私たち日本人は、この記憶を共有しているのかもしれません。その記憶は、あなたの生涯を超越したものであり、いわば「起源」それ自体です。この日本人の心の奥底に存在する太古の記憶とアクセスすることで、私は時空を超えた追憶が可能になると考えています。これが、国つ神計画研究所の一つのテーマである「祭祀の追体験」と深く関わってきます。

そうした深く、豊かな日本の体験を得る中で、同時に日本の精神史を学び続けてきました。なぜならば、神道、仏教、儒教などが関わる日本人の精神構造の変遷は、一元的に解き明かすことができないからです。かつて江戸時代に国学が生まれた時、漢意として実定された中国的なものに対し、日本的なものへの回帰や復古という文脈で、万葉時代や神話時代の感性が美化されていきました。そうした国学的かつ考古学的な方法として私が重視しているのは、意外に思えるでしょうが日本映画です。

100年以上の歴史を持つ日本映画には、時代ごとに異なる繊細な心の動きが記録されています。そうした心の動きや時代の感性がフィルムに刻印されることで、私たちにとって映画は、国学的な意味での「心の考古学」となり、かつての心を知るために必要不可欠な素材となります。ただし、一つの分野に拘泥することなく、歴史、信仰、文化、民俗、宗教、神話、思想、哲学などを独自に調合しながら、多元的世界に私は日本の真理を見出しています。

これは、生涯をかけて取り組む未来の日本への使命と責任です。

7年程度のフィールドワークを続けたことによって、一つだけ明瞭に見えてきたことがあります。それは、私たちが日常的に使っている「日本」や「日本人」という概念自体が、共同幻想によって構築されており、その共同幻想に阻まれて、日本や日本人の本質がほとんどの人には見えなくなってしまっていることです。言い換えれば、思考が生まれる地盤自体が、共同幻想によってズレてしまっているのです。

地震の発生原理と同様に、これによって、その地盤に支えられた人の心や精神には揺らぎが生じてしまい、社会的な疲弊や国家衰亡へと繋がっているとも言えます。極言すれば、日本の真の課題は思想にあり、思考が生まれる地盤自体を替える必要があるのです。しかし、これが上手くいきません。特に障害となっているのが、学問において各分野が詳細に分割されてしまっている構造的問題です。

これは日本の学問全般に顕著となっています。例えば、考古学は過剰に細分化された結果、縄文時代の研究者の数は多くても、縄文時代を論じることができる人物は誰も居ません。これが全ての学問に通じているため、こうした課題を越えていくためには、外部の人間が高速で動く以外に打開策はないと考えています。もしかすると、そこに私自身の価値があるのかもしれない。そう信じて、日々独自に探究を続けています。

また、科学的であるか非科学的であるかということは、それほど問題にしていません。むしろ、双方向を独自の観点で領有しながら、異なる二つの領域を、自らの存在において非分離にするアプローチを採っています。

このように、テーマは『古代日本×ルーツ×祭祀の追体験』を軸に据えていますが、現代日本への憤怒を原動力としており、その矛先は常に未来の日本へ向けられています。

江戸時代の儒者・佐藤一斎は、「憤の一字は、是れ進学の機関なり」と述べています。「憤」は一般的に発憤のこととされていますが、個人的には憤怒と捉えています。人間は、社会や国家に対する憤怒を抱える時、より良い未来へ進むためにはどうするべきなのか。そして、今の自分に何ができるのかを真剣に考え始めます。その中でいつしか見えてくるのが使命であり、その使命を全うするためならば、死も辞さない覚悟が必要です。

国つ神計画研究所を通じて、読者の皆様が各々に日々できる範疇で使命を見つけ、徹底的に打ち込むための力になれば、これ以上嬉しいことはありません。

毎週土曜日夕方頃に配信される『国つ神計画研究所レポート』を、ぜひお楽しみください。

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