今週は、1300年の思想に生きる日本人です。
今では当たり前のように使用されていますが、意外にも「神話」という用語の歴史は新しく、明治期に「myth」の訳語として生まれました。精々、百年程度の歴史しか持たない神話を考える時、日本の文脈として、『古事記』の源流となった『帝紀』『旧辞』を古層に位置付ける必要があります。
遡ること第40代・天武天皇(在位673-686)の御代、天武自らが主導した朝廷内プロジェクトにおいて、「帝紀を撰録し、旧辞を討覈して…後葉に流へむ」とあります。ここで神々・天皇の系譜が帝紀、氏族や場所民の古伝承が旧辞と考えられた姿が理解できます。
旧辞は口承の「フルコト(古伝承)」のことですが、この理解が近代以降を生きる私たちにとって、かなり掴み難いように感じます。なぜなら、各地・各氏族が固有のmythを継承したこと以上に、フルコトは場所の記憶を封じているからです。
仮に、mythを各々が継承していただけであれば、天武主導で統合したmythを用意すれば済みます。しかし、フルコトは先人の日常における実際の行為が生命を持ち、しかも場所ごとに育まれていたため、朝廷はそうした措置を取ることができなかったのです。
このことは、場所に生きていたフルコトの剥奪・弾圧・抑止などが、そのまま朝廷の覇権問題に直結していた時代を伝えています。当時はまだ、いわゆる中央集権制国家など存在しませんから、場所の記憶に対する暴力的な措置は、自ら生命を断つことに等しい状態を招いたからです。
古代為政者を大きく見れば、「物部氏→蘇我氏→中臣氏(藤原氏)」へと覇権が転移した過程から、ひとつの興味深い姿を見ることができます。その鍵を握っているのが、焚書です。
焚書は、いち早く文献化技術を獲得した古代中国で活発に起きており、先日お伝えした中国初の統一皇朝を築いた秦では、紀元前213年に始皇帝主導で焚書、翌年には学者を大弾圧する坑儒が起きています。
標的は大きく二つあり、ひとつは秦以外の諸国の歴史書、もうひとつが儒学です。つまり、「歴史と思想」が弾圧対象に据えられることは、今に始まったわけではなく、相当古い起源を持っています。
始皇帝は自らに対する思想的批判を阻止するため、時の中国思想を支えた儒学の著作を焚書しますが、一方で医薬・卜占・農業・林業など、人々の実際生活に関わる実用的な書物、秦の歴史書、役人が公的に管理する書物は焼却を免れています。
これらは「実用」の観点から見られがちですが、フルコトの観点で見ると、人々の実際生活の行為を抱えているため、非常に重要であることがわかります。蓄積された叡智とも言えますが、そこには無数の積み重ねられた行為があるのです。
この大規模な焚書によって、秦以前の諸子百家とも呼ばれた豊かな思想、各地の歴史・伝承・神話の大半は失われるか、断片化してしまいました。以降、中国の歴史家は秦以前を語ることが困難となり、事実上、それ以前は伝説として処理する以外に方法がなくなります。
自分たち以前の歴史を一掃することで、自分たちの覇権の正統性を生み出す。これが焚書の持つ力であり、その後も中国史にまとわりついています。
一方の日本では、文字・文献化技術の獲得は中国と比較すれば後代ですが、それでも最初期から為政者の変動に伴う焚書、そして思想弾圧が行われた痕跡があります。
前述の「物部氏→蘇我氏→中臣氏(藤原氏)」でも、旧・為政者が関わった書物は焚書に遭っています。旧・為政者の思想を焼き払い、焼け野原から新・為政者に相応しい思想を創造するためです。視方を変えれば、焼け野原からの復興とは、新たなOSとしての思想を導入する絶好の機会なのです。
古代氏族の筆頭格だった物部氏の書庫には、豊富な各国の書物が保管されていたと考えられますが、蘇我氏による焚書で一掃されており、また蘇我氏は滅亡時に自ら書庫を焼き払っています。この行動は、為政者にとって体制の根幹が、いかに思想によって支えられているかを伝えています。同時に、その秘密(思想)を奪われることが、体制転覆に繋がる直接的な原因と理解されていた姿も示唆されています。
しかし、注意深く見れば、旧・為政者から新・為政者への転換は、まったくのゼロから始められたわけではありません。実は、旧・為政者の統治における根幹は、表には見えない形で密かに継承されており、新・為政者は通常、表向きの言葉や概念を変えることが一般的です。つまり、箱を変えても、中身は大して変わっていない。ここが為政者の転換点における注目点です。
直近の明治維新でも、明治新政府の新・為政者は、旧・為政者の徳川将軍家の体制を否定する素振りを表向きに見せながら、密かに江戸時代の体制哲学の根幹だった朱子学を継承しており、近代の官僚主義体制にそのまま転用しています。身近な例では、第二次世界大戦敗戦後に、新・為政者の在日米軍は旧・為政者の軍閥体制を転用しています。
これ自体は歴史的に常に起きることであり、為政者が「統治」を目論む欲望を手放さない限り、今後も消滅することはないでしょう。ただ中国と異なる日本の興味深さは、歴史的に古事記と日本書紀が焚書に遭わなかったことです。一体、なぜ古事記と日本書紀は生き残ったのでしょうか?
統治とは口で語り、頭で考えるよりも遥かに難しく、相当の歳月をかけなければ実現できません。現在のような一億人規模の国民統治が可能になるまでは、相当な道のりを歴史で辿ってきたことを忘れてはなりませんが、この時、今日の日本の基層に、ある人物の思想が今も潜んでいることが浮上します。それが、天武天皇です。
私は天武を歴代天皇の一人として見る以上に、日本史でも稀代の思想家だと見ています。実際、天武天皇の御代に行われた諸政策が、今日の日本においても、未だ強烈な影響を及ぼしているように感じます。
まず、フルコトの本質は、口承それ自体が行為を伴っていることです。「myth/神話」と言った場合、そこに口承の歴史的行為は消えていますが、フルコトには幾世代の人々の実際の継承が行為として関わっていました。この観点から見ると、「myth/神話」と「フルコト」は、近いようでも質は異なるように思えます。
フルコトは、先人を含めた歴史的な日常の行為を抱えているため、いわば、「場所の記憶」がフルコトです。そこにモノガタリが発露する土壌がありますが、古事記はそれを見事に表現しています。
日本書紀に記されていますが、天武天皇は古事記プロジェクトを始動する際、「帝紀及び上古諸事」を記し定めることを述べています。この「上古諸事」が日本書紀側のフルコトを表す用語ですから、天武天皇を軸として、歴史を遡った「上古/フル」の「諸事/コト」が、フルコトの源流だと考えていたことが掴めます。
ここで肝心なことは、「諸事」ですから、単純にmythとして規定することはできないこと。また、「神話=史実」ではないことです。神話は何かしらの歴史を抱えていますが、考え方を弁別しておく必要があります。神話世界の母体は思想にあり、歴史事実をそのまま伝えるものとは性質が異なるからです。
中国の『史記』は伝説・伝承を多く含んでいますが、これは焚書の影響を受けていたからで、意図としては、「歴史」の自覚を持った編年の形で編纂されています。つまり、文献ひとつを見ても、その創造の母体となった思想がどうだったかを問うことが、真の問題となるのです。
なぜなら、祖先は史実を神話として口承したわけではないからです。
天武天皇は自ら時代の転換点に立ち、革新的な変革を次々と実行しています。列挙すれば、唐から輸入した律令制の導入開始、仏教の庇護、古代氏族の権力の統廃合、スメラミコトの呼称、天皇を中心とする体制作り、朝廷の反抗勢力に対する軍事侵攻、国号の変更、唐との積極外交、伝承の体系化、アマテラスの信仰、伊勢神宮を中心とする信仰の集約などです。
こうした広範囲な政策は、抜本的な国造り改革です。当時は統一国家・日本はなくとも、この時代、その礎が天武天皇によって、ヤマトで用意されたと言えます。しかし、本当の問題は諸政策にあるのではなく、これら諸政策を実行する根幹にあった思想です。
思想が優れていたからこそ、天武天皇の大改革は、今日の日本の礎を築きました。今も国号で「日本」を使用しているように、内容は変わっても、形は天武以来継承され続けています。
なにより、古事記も日本書紀も継承され続けており、今日まで残りました。この事実は、天武以降も為政者は次々と変わったものの、実は根幹の思想は大して変わっていないことが見えてきます。それほど天武天皇の思想が優れていたことの証であり、1300年以上の歳月を経てもなお、強い効果を持続しているのです。
これが意味することは、何なのでしょうか?
それは、今も日本人は、天武天皇の創造した思想の世界に生きているということなのかもしれません。
++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++
■ 国つ神計画研究所 Vol.7【2026年4月18日発行】
■ 著者Webサイト:https://jihanjinko.com
++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++